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江戸時代のおすもうさん

道の駅雷電くるみの里 雷電資料館パンフレットより
道の駅 雷電くるみの里 雷電像
道の駅 雷電くるみの里敷地内にあります銅像です。記念撮影など、どうぞご利用ください。

雷電像の四季

雷電像 春
雷電像 夏
 夏
雷電像 秋
 秋
雷電像 冬
 冬

雷電為右衛門伝説 力石

雷電くるみの里 力石
雷電くるみの里 力石
道の駅雷電くるみの里 敷地内にある力石です。この力石は大石地区に残されており、大石地区は生家もあり雷電為右衛門と関係の深い場所です。雷電為右衛門は、約135kgもあるこの石を軽々と持ち上げていたのでしょうか。

雷電資料館

雷電資料館 道の駅雷電くるみの里
雷電資料館 道の駅雷電くるみの里
雷電資料館 道の駅雷電くるみの里
道の駅雷電くるみの里に併設されております小さな資料館です。雷電像の奥、食堂横にございます。
東御市にゆかりのある江戸時代の名力士「雷電為右衛門」、化粧まわしのレプリカや、番付表などを展示しております。
(開館9時~閉館18時 入場無料) 

無双力士 雷電為右衛門パンフレットより

道の駅雷電くるみの里 雷電資料館パンフレットより
 
1、生い立ち
 
 天下無双の大力士雷電為右衛門は、明和四年(1767)信濃国小県郡大石村(現東御市滋野乙)に生まれた。父は 半右衛門、母を けん といった。幼名を太郎吉と称した。太郎吉が少年だったある夏の午後、母のけんが庭で据風呂に入っていた。ところが急に雷鳴とともに激しい夕立がしてきた。太郎吉は、母を風呂桶ごとかかえて、家の土間に運び込んだという親孝行な逸話が伝えられている。
 また、細く険しい碓氷峠の山道を荷を積んだ馬をひいてきたところ、加賀百万石の殿様の行列に出会ってしまった。せまい道、よけることもできず困った太郎吉は、荷をつんだ馬の足を持って目よりも高くさしあげ、無事行列をお通しし、「あっぱれじゃ。」と殿様からお褒めにあずかった。
 
 

 
 
 2、江戸相撲に入門
 
 千曲川の対岸の長瀬村に上原源五右衛門という庄屋がいた。その庄屋は、学問好きで寺子屋師匠をする傍ら、石尊の辻をつくって相撲好きな若者の世話にも余念がなかった。このことを知った太郎吉は、上原源五右衛門方に寄食して学と技を磨いた。折しも、江戸相撲の浦風林右衛門一行が地方巡業で上原家を訪れた。その時、太郎吉は、浦風に相撲とりとしての才幹を見込まれ、天明四年(1784)十七才で出府、江戸相撲に入ることとなった。恵まれた天与の素質に加えて、熱心に稽古にはげんだ甲斐あって、寛政二年(1790)には関脇に付出され優勝した。完成七年には大関に昇進し、実に十六年二十七場所の長きにわたり大関の栄位を保持し、九割六分二厘という古今最高の勝率をあげた。
 雷電には禁じられた手が三つあった。「張り手」「かんぬき」「突っ張り」である。これを使えば必ず相手に怪我をさせるからというので封じられた。なお、雷電は文化八年(1811)惜しまれつつ引退した。
 
 

 
 
3、お抱え力士
 
 山陰地方の親藩松江藩の殿様松平治郷(不昧公)は、雷電の力と技と学徳の傑出していることを見てとり天明八年(1788)松江藩に召し抱えた。雷電は、八石に三人扶持を与えられ、お抱え力士として活躍したのであった。彼は生涯雲州関為右衛門と自らも称し、藩務にも精を惜しまず、引退後は松江藩相撲頭取を任ぜられた。松江市にある松平家の累代の霊廟の一隅には雷電の墓が今も残っているが、彼がいかに厚偶されたかを知るに十分である。雷電は、文政八年(1825)妻にみとられながら五十九才で没した。死後その遺骨は分骨され故郷大石村(現東御市滋野乙)の関家墓地に葬られているが、雷電の力にあやかろうという参詣者が絶えない。
 
 

 
 
4、生家とその復原
 
 三十三才の時、故郷大石村に帰った雷電は五十両で自分の生家を建てなおした。もっとも、その家は、自分が少年時代世話になった長瀬村の庄屋上原家より小さく建てた。ここに義理堅い雷電の一面がうかがえる。もっとも、家の竣工祝に、建築費と同額の五十両を投じ大盤振舞をしたという。
 昭和五十九年、雷電が建てたというその家も老朽化したので、関係者の協力で生家の復原ができた。この家は、土間に土俵が作られていることと、二階が桟敷席になっており、相撲ぶりが観覧できるのが特徴である。
 
 
◆道の駅雷電くるみの里から、徒歩10分程「雷電生家」
雷電生家 道の駅雷電くるみの里から歩く
雷電生家 道の駅雷電くるみの里から歩く
雷電生家 道の駅雷電くるみの里から歩く
雷電生家 道の駅雷電くるみの里から歩く
雷電生家 道の駅雷電くるみの里から歩く
 雷電生家、地図
 

 
5、雷電の碑建立
 
 
 雷電の没後、牧家一里塚のかたわらに、雷電の徳をしのんで碑が建立された。明治維新の英傑佐久間象山は、雷電のために自ら文を選ぶと同時に雄渾な字で書いているが、この雷電碑は全国でも名碑に数えられている。封建身分制のきびしい時代に力士として世に出ることは、まさに出世であって、庶民の果し得ない夢を叶えたことで、その時代の英雄であったといえよう。もっとも、雷電が今日なお多くの人々に追慕されるのは、相撲とりとして抜群の力と技とをもっていたほかに、学才に富みかつ、豊かな人間味をもっていたことが魅力であることは確かであろう。
 
 
 
道の駅雷電くるみの里 雷電展示館
無双力士 雷電為右衛門パンフレットより
道の駅雷電くるみの里 雷電展示館 無双力士 雷電為右衛門パンフレットより
道の駅雷電くるみの里 雷電展示館 無双力士 雷電為右衛門パンフレットより
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